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人名(じんめい)とは、人(ひと)

人名(じんめい)とは、人(ひと)の個人としての独立性と家族等の共同体への帰属性を弁別し呼称する為に人へ付けられる語。現代での人名は植民地時代の影響やグローバル化によって個人の独立性を表す語と帰属性を表す語の二つの部分から成るように表わされる。こうした構成でない人名は共同体の慣習により異なる名付けの体系を持ち、呼称される場合も複雑である。例として日本の場合は民法により氏名という体系であり、呼称される場合は、氏のみや名のみやあだ名、敬称・職名などとの組み合わせ、同一の人名の世襲などがある。氏名は他に、姓名や名字(苗字)と名前ともいう。
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漢字文化圏において姓と氏、さらには日本における苗字は本来は互いに異なる概念だが、今日では同一視されている。日本でも、明治維新以前は氏(ウヂ:本姓)と苗字に代表される家名は区別されていた。名は名前とも呼ばれる。

人名は、呼ぶ側と呼ばれる側が互いを認識し、指示し、コミュニケーションをとる際に使われる。人は多くの場合、戸籍などに登録されるなどした、公式の名前(本名(ほんみょう))を持つが、それがそのまま用いられる場面は限られており、名前を元にした呼び名、あだ名、敬称との組み合わせなどが用いられることも多い。かつては、真の人名は霊的な人格と不可分のものとし、本名を実際に他者が口にして用いることに強いタブー意識を持つ社会は多かった(諱または忌み名)が、近代になってそういった意識はある程度希薄化したとも言える。 但し、現代社会の一般人の日常生活でもnet社会が普及するにつれ、見ず知らずの相手には、名前は一切開示せず接触し、相手の素性を知ってから段階的に開示するということは、よく行われる。また、インターネット上のコミュニティなどでは、真の人名は出さず、ハンドルネームなどを示すのが一般的である。様々なことを考慮すると、やはり真の名前をあまりに安易に不特定多数に開示してしまうことはそれなりにリスクが伴う、という判断がある(関連する事象として、名誉毀損やプライバシーなどの項も参照可)。また、多少意味合いが異なることは多いが、芸術家・作家・評論家などで、ペンネーム・アーティスト名などを用いて、真の名前は開示しないことは多々見られる。

名前にはその主要な属性として、音と表記がある。例えば日本人の個人名が外国の文字で表記されることがあるが、これは一つの名前の別表記と考えることができる。逆に、漢字名の場合、場合によって読み方が変わることがある。こういった表記、発音の変化に対する呼ばれる側としての許容範囲は様々である。

名前と人間の関わりは古く、名の使用は有史以前に遡るとされ、姓などの氏族集団名や家族名の使用も西方ではすでに古代ギリシアなどにその形跡があるとされ、東方では周代から後世につながる姓や氏の制度が確立されていることが確認できる。また、非近代社会においてはさまざまな理由で幼児に名前を付けない慣習が見られる地域が多かったが、1989年に国連総会で採択された児童の権利に関する条約7条1項は、「児童は、出生の後直ちに登録される」「児童は、出生の時から氏名を有する権利……を有する (shall have the right from birth to a name)」と定めている。

人名の構造、使用とその多様性
人の名前は多くの文化で、2つかそれ以上の種類の部分からなる。

多くの場合、「所属を示す名前」と「個人を指す名前」の組合わせが用いられる(ここでは便宜上仮にそれを"個人名"と呼ぶことで説明する)。あるいはそのどちらか一種類だけの場合もある。その数や扱いについては様々な習慣・制度が見られる(詳細は後述)。

分かりやすい例としては、その個人が属する「家(家族)の名前」と「個人の名前」の組み合わせである。英語圏では、個人名+家族名 (given name + family name) の順に表記されることが多い(配置に着目しファーストネーム+ラストネームとも呼ばれるが、文脈に応じ逆順で表記されることや文化混合による混乱を避けるために、given nameなる呼称が選ばれる流れがある)。現代の日本の一例を挙げれば「鈴木 + 一郎」であり、この場合は「家族名 + 個人名」の並びとなる。家族名、個人名はそれぞれ、姓(せい)、名(めい)などと呼ばれる。家族名はまた苗字、名字とも呼ばれる。"個人名"の部分は「名(な)」と呼んだり、なんら明確には呼ばずに済ませたりする。

(注) 日本語の人名では、英語の given name にあたる概念を、他の概念と明確に区別し、かつ肯定的に指し示す名称が成立していない。明治以前の今日より複合的で複雑な人名要素における「いみな(諱)(=忌み名)」などという名称には既に否定的な概念が含まれており(ただしそれ自体を忌避して否定的にとらえているのではなく、霊的人格との一体性という概念ゆえの神聖視により、みだりに用いるのを忌避しているのであるが)、その裏返しとして成立している「字(あざな)」では正式の本名ではないという含意からのズレがあり、どちらも現代的な使用には向かない。また「名(な、めい)」では、フルネームを指す可能性があり、明確な指示が困難になる。明治期に、法令によって人名の近代化を迅速に行った影響が今日も後を引いているとも、今日の日本人の人名構成様式が、まだ非常に浅い歴史しか持たないものだとも言える。そのため「下の名前」または「ファーストネーム」が使われる。以下の説明では「名」(な)という言葉で"個人名"を指している箇所があるので注意されたい。

構成要素の数
姓名の構成要素の数、すなわち、ある個人のフルネームがいくつの部分から構成されているかは、文化によって異なっている。アメリカ大陸の先住民族など、個人を指す名前のみを用いる文化もある。サウジアラビアのように、3代前にまで遡って4つの部分からなるフルネームを用いることが当たり前の文化などもある。ブラジルのように一貫していない場合もある(これは、姓を持つ習慣が普及しつつあるが、完全に普及しきっていないためであると考えられる)。

また、親子の間での姓をめぐる取扱いも文化によって異なる。子供が両親のいずれか、あるいは両方の名前を受け継ぐ習慣や制度があるかどうかは文化によって異なっている。受け継がれていくのは姓に代表される血縁集団名、家系名であるとは限らず、姓を持たない文化においては、「純一郎、純也の息子、又次郎の孫」などといった形で名前が受け継がれていくこともある。インドでは逆に「又三郎、又次郎の父」などといった形で、ある子供が生まれた時に与えられる名前に、さらにその子供の名前として使われるべき名が含まれているものもある。

構成要素の順序
姓名の構成要素の順序についても、民族・文化圏・使われる場面などにより異なることが知られている。[1][2]例えば、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国では、日常的な文書や会話などでは、名前は名→姓の順をとることが多い。ただし、堅苦しい文書などにおいては、まれに順序が逆転することがある。日本、中国、朝鮮、ハンガリーなどでは名前は姓→名の順をとる。つまり、あえてフルネームで呼んだり記したりする場合には、その順で呼んだり記したりする、ということである。

名前を記す際などに、その一部を省略することも多く行われる。英語圏ではミドルネーム(middle name)はイニシャルだけが記されることが多くある。スペイン語圏では、複数部分からなる姓の一部が省略されることがある。

名前の変更
基本的には、人名は通常、慣習や法などによって決まっている部分(姓)や生まれた時に両親などによって与えられ、それ以後変わることのない部分(名)のいずれか、またはその組合わせからなることが多く、生涯を通じて変わらない文化も多い。だが、ここにも例外がある。

例えば、婚姻や婚姻の解消に際して、夫婦間の姓の変更が行われる文化がある。婚姻やその解消は親子関係の変更を含むこともあるため、子の名前の変更を伴うこともある。

婚姻以外にも、人生の節目において名前を与えられたり改めたりする場合がある。一部のドイツ人の間では洗礼に伴ってミドルネームが与えられ、以後はファーストネームではなくその洗礼名が頻繁に用いられることになる。

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2009年02月09日 16:09に投稿されたエントリーのページです。

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